おもひで外伝【阪神大震災】
今日は阪神大震災の起こった日もう九年前ですねぇ。
俺が小学校六年の頃の事でしたから。
ちなみに俺の住んでいたところは震度7の激震。
親父曰く大きなゆれは三回あったそうで、俺は一回しか知りません。
ただ俺が覚えてるのはすごい音とアトラクションのような揺れ。洒落にならないですよね全く。
うちの前の道は倒れた家にふさがれ、立ってた家は一つもありません。
すべて連鎖式で倒れたようで最後の一軒が道にはみ出てました。
俺も本棚が逆に倒れてきてたら死んでたかもしれません。ほんとに運がよかった。
もちろん電気も水道もガスも使えずなかった。
未だに母親は大震災の話をTVとかで見ると思い出し泣きをしております。
それぐらい両親にとって不安や恐怖があったのでしょうか。
ただ覚えてるのがみんな必死だった。池までバケツをもって水の確保、
俺は上水道まで飲み水の確保、朝からずっと往復一時間の道のりを何往復もしてました。
上水道もいつ水がなくなるか分からないですからね。
当時ケーブルTVはもちろんつぶれて全くテレビ見れませんでしたから。
情報が入らないからできるかぎりのことをするしかない。
そしてまわりといったら交通マヒで車が全くつかえない、だからみんな徒歩
道路の方はあぶないからみんな線路の上を歩いていく。異常事態になると
人間なにをするか分からないですね。電車が通ってないからっていくらなんでもね。
学校はというと結局俺は卒業式まで学校に行く事は無かったです。
避難所としてずっと使われてましたから。
卒業式も異様な雰囲気でしたよ。小学校とは全く関係無い避難所で生活してる
人たちにまで見送られての卒業式。
とまぁ阪神大震災を振り返ってみました。